武藤敬司は天才! 有田と週刊プロレスより

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アマゾンプライムビデオで「有田と週刊プロレス」を見た。

 

この有田と週刊プロレスはシーズン1からずっと見てます。

 

武藤敬司

 

武藤敬司

 

写真はウィキペディアより出典 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%97%A4%E6%95%AC%E5%8F%B8

武藤敬司は天才、日本プロレス界で力道山アントニオ猪木ジャイアント馬場に並ぶレスラーだと思っています。

 目次

 

総合格闘技全盛の中でも純プロレスだった

2000年代初頭のK-1、PRIDE等の総合格闘技が爆発的ブームになり、年末大晦日の紅白の裏番組に格闘技番組が組まれました。

 

プロレスは下火に。

 

武藤敬司の所属していた新日本プロレスでも格闘技色が濃くなっていました。

 

そんな中、武藤敬司は純プロレスをしたい一心で全日本プロレスに移籍。

 

  

伝説の武藤敬司vs高田延彦

1995年10月9日、新日本プロレスUWFインターの全面対決がありました。

 

この一連の試合で一番印象的だったのが武藤敬司vs高田延彦

 

純プロレス対キック、関節技、投げ技の戦い。

 

この試合は武藤が高田から古典的な技、「4の字固め」でギブアップを取ったことなんです。

 

UWF系のアキレス腱固めやアンクルホールドといった関節技ではなく、日本プロレス黎明期に活躍した「ザ・デストロイヤー」がフィニッシュホールドにしていた技。

 

つまり、武藤敬司は高田やUインターのファン、そしてプロレスファンに言いたかったのだと思います。「プロレスは強いんだ」と。

 

そしてもうひとつ大きなことがドラゴンスクリューの復活。

 

藤波辰爾がデビュー当時、ドラゴン殺法としてドラゴンスープレックス、ドラゴンロケットと並んで使用していた技。

 

藤波辰爾のヘビー級転向により自ら使わなくなっていた技を武藤敬司は復活させたんです。

 

藤波は試合の流れを変えるために多用していたけど、武藤は対高田戦ではフィニッシュホールドの4の字固めへ持っていくときにドラゴンスクリューを使った。

 

これ以降ドラゴンスクリューは武藤はもちろん元祖の藤波辰爾、そして今のプロレスラーに受け継がれています。

 

武藤敬司は変幻自在

ときにはグレート・ムタ、そして黒師無双とキャラクターを変える。

 

そしてフィニッシュホールドも今や代名詞になっている「シャイニング・ウィザード」、「ムーンサルトプレス」「足四の字固め」を時代に合わせて変えています。

 

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